リンク
角川書店の編集者として数多くのベストセラーを生み出した後、幻冬舎を設立した見城徹(けんじょうとおる)氏が、編集者としての生き様と、独自の読書論について語ります。
「読書の量が人生を決める。本を貪り読んで苦しい現実を切り拓け。苦しくなければ読書じゃない!」(この本の見開きより)見城氏にとって読書とは、実生活では経験できない「別の世界」の経験をし、他者への想像力を磨くこと。重要なのは、「何が書かれているか」ではなく、「自分がどう感じるか」である、と説きます。
また、「自己検証、自己嫌悪、自己否定の三つがなければ、人間は進歩しない」、「読書を通じ、情けない自分と向き合ってこそ、現実世界で戦う自己を確立できる」という持論(信念?)をお持ちだそうです。
そして、その原体験となったのは、中学3年か高校1年で読んだ、夏目漱石の『こゝろ』だったとか。
私も中学生の時に『こゝろ』を読んだのですが、難解過ぎて全く心に届きませんでした(残念!)。後に編集者として強烈な個性を放つ見城少年は、きっと早熟で、人一倍多感な生徒だったのでしょう。
私の印象に残った、本書の一部を以下にご紹介します。
- 『こゝろ』を読んで初めて、僕は「自己検証、自己嫌悪、自己否定」という概念を実感した。初めて「生きるとは何か」を考え、夏目漱石の他の作品にも没頭した。人間を形成するという意味で、僕の読書体験はここから始まった。
- 出版とは虚業である。(中略)人の精神という目に見えないものを、商品に変えて流通させ、それを何億もの金に変える商売だ。こんな商売はいかがわしいとしか言いようがない。それを誠実な営みとして成立させるには、編集者の生き様が厳しく問われる。編集者の仕事とはそういうものである。
- (五木寛之氏に執筆を引き受けてもらうために…)五木さんのすべての作品を読み、感想を手紙にしたためて送ることにした。(中略)発売されてから5日以内に感想を書いて出す。(中略)その感想が、仕事をしている本人も気づいていないことを気づかせたり、次の仕事の示唆となるような刺激を与えたりしなければいけない。だからこそ、「言葉」は武器なのだ。豊富な読書体験を経なければ、武器となる言葉は獲得できない。(中略)25通目の手紙を書いたあと、ついに五木さんと会えることになった。
- (石原慎太郎氏に執筆を引き受けてもらうために…)僕は最終兵器を用意していた。『太陽の季節』と『処刑の部屋』を一言一句、最後の1行に至るまで暗唱できるようにしていたのだ。
- 表現とは結局自己救済なのだから、自己救済の必要がない中途半端に生きている人の元には優れた表現は生まれない。ミドルは何も生み出さない。想像力は、圧倒的に持つ者と、圧倒的に持たざる者の頭のなかにこそ生まれるのである。
- 本物の表現者は例外なく「表現がなければ、生きてはいられない」という強烈な衝動を抱えている...(中略)本当の作家は、内から出てくるものがあまりに膨大で、気づいたら何かを書いている。
強烈な個性を放つ編集者の生き様、有名作家との交流、そして読書論に興味をお持ちの方におススメします。
人は、自分の「言葉」を獲得することで、初めて自分の人生を生きられる――。
見城徹はいかにして道を切り拓いてきたのか?
正確な言葉がなければ、深い思考はできない。
深い思考がなければ、人生は動かない。
読書をして自己検証する。自己否定する。
自己嫌悪との葛藤の末に自分の言葉を獲得する。
出版界の革命児が突き付ける、究極の読書論。
見城徹はいかにして道を切り拓いてきたのか?
正確な言葉がなければ、深い思考はできない。
深い思考がなければ、人生は動かない。
読書をして自己検証する。自己否定する。
自己嫌悪との葛藤の末に自分の言葉を獲得する。
出版界の革命児が突き付ける、究極の読書論。
(amazonより抜粋して引用)

0 件のコメント:
コメントを投稿