秘密資料で読み解く 激動の韓国政治史 / 永野慎一郎

2025年1月17日金曜日

ノンフィクション

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東アジアの政治経済に関する著書を多数執筆してきた大東文化大学 経済学部名誉教授の永野慎一郎氏が、朴正煕(パク・チョンヒ)大統領から金大中(キム・デジュン)大統領まで、つまり1962年~2003年頃の韓国の政治的動向を、当時の秘密資料を参照しつつ解説してくれる本です。


2024年12月3日、韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が戒厳令を宣布したとのニュースが、驚きをもって世界に報道されました。
韓国での戒厳令は、1980年の光州事件以来のことであり、1987年の民主化後「初」とのことでした。
「戒厳令」に驚く以前に、お隣・韓国の民主化(1987年)が意外と最近の出来事だったことに驚いたのは、私だけでしょうか?(汗)
本書では、韓国国民の民主化要求と軍による鎮圧活動の歴史、歴代大統領の功罪と民主化に果たした役割などについて、著者がわかりやすく解説してくれます。

私の印象に残った主な大統領の功罪を以下にご紹介します。

朴正煕(パク・チョンヒ)在任期間 1963~1979年

  • 1961年5月、軍の改革派を率いてクーデターを起こし、国家再建最高会議議長に就任。陸軍少将から大将へと二階級特進して政権を掌握した。
  • 民政移行を繰り返し表明し、自ら民政に参加しないと公言しながらも、政府機関、国営企業などあらゆる部門に軍人を送り込んで軍事独裁体制を作り上げた
  • 1963年の大統領選挙に立候補し当選。
  • 1973年には、政敵として脅威を感じ始めた金大中氏の拉致・殺害を指示し、駐日韓国大使館の書記官らが東京都内のホテルで金大中氏を拉致するも、計画が杜撰であったため韓国政府の組織的犯行を裏付ける証拠を残し、失敗する。
  • 1974年、左翼思想を持ち北朝鮮に大統領暗殺を教唆された文世光による暗殺未遂事件が起き、流れ弾が当たった大統領夫人が死亡。
  • 1979年10月、政権中枢メンバーらの晩餐会の席上で、側近の情報部長に射殺される。
  • 朴正煕は、独裁政治を行った反面、日韓国交正常化を推進し、日本から導入した対日請求権資金を基幹産業育成に活用して経済発展の基礎を造り、「漢江の奇跡」を起こした立役者として評価されている。

全斗煥(チョン・ドゥファン)在任期間 1980~1988年

  • 朴正煕大統領の死亡が確認されると、非常戒厳令が宣布された。そして、全斗煥が合同捜査本部長になり、情報部、検察、警察などの捜査機関を指揮した。これは、朴正煕の生前の指示によるものだった。
  • 1979年12月、全斗煥は鄭昇和陸軍参謀総長(戒厳司令官)を拘束し、反乱軍を指揮してソウル市内の主要施設を統制下に置いた(粛軍クーデター)。
  • 1980年4月、全斗煥は中央情報部(KCIA)のトップに任命され、国家の軍と資金と情報を一手に握る
  • 1980年5月、全斗煥は戒厳令を全国に拡大し、金大中を含む野党側の政治家を逮捕または軟禁した。また、それに反発した光州市民の民主化要求デモに対して重武装した戒厳軍を送り、市民を多数虐殺した(光州事件)。
  • 1980年8月、崔圭夏大統領が光州事件による混乱の責任を取って辞任し、全斗煥が大統領に選出される。
  • 戒厳司令部は、光州事件が金大中の背後からの操縦により発生したものと主張して金大中らを起訴し、金大中は内乱罪で死刑判決を受けるも、後に釈放される。
  • 1983年、全斗煥がビルマを訪問中に、大統領一行の暗殺を計画した北朝鮮の工作員が爆破テロを起こした(ラングーン事件)。韓国政府の高官が複数死亡したが、全斗煥大統領は無事であった。
  • 1987年6月、全斗煥大統領は次期大統領候補に盧泰愚を指名し、与党民主正義党は党大会で盧泰愚を大統領候補に選出する。
  • 1987年6月、全国37都市で「民主化憲法獲得国民平和大行進」に180万人以上の市民が参加した。軍の投入は、米国の反対にあって実行に移せず、全斗煥はついに大統領直接選挙制を受け入れることを決断する。
  • 強権政治と市民への武力弾圧により、「ソウルの春」という民主化の流れを後退させたとして、全斗煥は最後まで国民の支持を得られなかった。

盧泰愚(ノ・テウ)在任期間 1988~1993年

  • 民主正義党の大統領候補・盧泰愚は、1987年6月29日に大統領直接選挙制への改憲を含む民主化宣言を行う。
  • 盧泰愚は、直接選挙制を受け入れても、金大中と金永三がそれぞれ立候補すれば野党票が割れ、自身が漁夫の利を得られると計算していた。
  • 1987年12月に大統領選挙が実施され、盧泰愚の得票は、金大中と金永三に分散した票を上回り、計算通り勝利する。
  • 盧泰愚の大統領就任直後には全斗煥が人事権を握るなど影響力を行使していたが、やがて盧泰愚は全斗煥の側近たちを排除し、親族を不正疑惑で拘束するなど、全斗煥政権の清算に努めた。
  • 盧泰愚は軍出身の最後の大統領として、軍をはじめとする既得権を持つ勢力を慎重に取り除き、軍政から民政への橋渡しの役割を役を果たしたとの評価を得ている。

金泳三(キム・ヨンサム)在任期間 1993~1998年

  • 金泳三は、独裁政治時代は金大中と共に民主化を求める野党政治家として活動したが、1987年の大統領選挙にて金大中と共に盧泰愚に敗北した。
  • 1990年、金泳三は盧泰愚らと手を握り、それにより誕生した巨大政党・民主自由党の大統領候補となって、1992年の大統領選挙で当選した。
  • 大統領に就任すると、民間人の登用による政府機関の人事の刷新、高級公職者の資産公開、軍の秘密組織「ハナ会」の解体、金融実名制の実施など、初の文民政権として政治改革を断行した。
  • 1993年2月の文民政権誕生以降、粛軍クーデターや光州事件の被害者から全斗煥と盧泰愚に対する告訴が相次ぎ、裁判の結果、最終的に全斗煥に無期懲役、盧泰愚に懲役17年、共に300億円以上の追徴金が宣告された。
  • 財閥の過剰投資と東南アジア諸国の通貨危機の影響から、1997年には巨額の経常赤字となり、同年IMFに救済資金を要請した。(その後、2001年にIMFに救済資金を完済し、IMF体制を終了した。)

金大中(キム・デジュン) 在任期間 1998~2003年

  • 1997年12月の大統領選挙で野党・新政治国民会議から立候補した金大中が当選する。
  • 大韓民国樹立以来50年を経過して初めて、与野党間の平和的な政権交代が実現した。
  • 金大中は、「被害者が加害者を赦してこそ、真の和解が可能である」として、懲役刑となっていた全斗煥と盧泰愚を赦免・復権させた。
  • 1998年には日本を公式訪問、2000年には北朝鮮を訪れ南北首脳会談を実現した。
  • 2000年、北朝鮮への「太陽(包容)政策」を通じて朝鮮半島の緊張緩和を進めた実績が評価され、ノーベル平和賞を受賞した。
現在の韓国の政治体制の土台となった民主化の歴史を把握・再確認したい方におススメします。


盧武鉉政権時代の2004年、軍事独裁政権下で起こった不可解な事件を調査する「国家情報院過去事件真実糾明発展委員会(真実委)」が設置され、情報部(KCIA)の秘密資料の調査や、当時の関係者へのヒアリングなどから、金大中拉致事件、大韓航空機爆破事件などに政府がどう関わっていたか、その真相が明らかになった。
この資料に加え、文献・史実、さらには著者自身が金泳三、金大中と直に交流した実体験も交えながら、朴正煕大統領暗殺事件、光州事件、ラングーン事件、東亜日報記者拷問事件……など、民主化を勝ち取るまでの激動の韓国現代政治史を、表と裏から振り返る。
映画『タクシー運転手~約束は海を越えて~』『KCIA 南山の部長たち』『1987、ある闘いの真実』のもとになった現実は、かくも凄まじいものだった!
(amazonより抜粋して引用)

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関東在住で、医療関係の事務に携わっています。
家事・育児と、遠隔地で一人暮らしをする80歳代の母の健康状態にも目を配りつつ生活しています。
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