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カトリック信者の作家・遠藤周作氏が、過去の史料や史実を基にイエスの生涯を辿り、真の思想や教えに迫る作品です。
イエスは洗礼者ヨハネから洗礼を受け、ヨハネ教団に身を置きますが、そこに足りないものに気づいていた、と著者は言います。「そこに欠けているのは『愛』だった。クムラン教団もヨハネ教団も人々に悔い改めと神の怒りを教えたが愛については語らなかった。」
「イエスの生涯をつらぬく最も大きなテーマは、愛の神の存在をどのように証明し、神の愛をどのように知らせるかにかかっていたのである。」
「必要なのは『愛』であって、病気を治す『奇蹟』ではなかった。人間は永遠の同伴者を必要としていることをイエスは知っておられた。」
イエスを見棄て逃げ延びた弟子たちは、処刑場でのイエスの怒りや呪詛を恐れていたと著者は言います。しかし、イエスの最後の言葉は彼らの想像を超えたものでした。
「主よ、彼らを許したまえ。彼らはそのなせることを知らざればなり…」
「十字架上での烈しい苦痛と混濁した意識のなかで、なお自分を見棄て裏切った弟子たちを愛そうと必死の努力を続けたイエス。そういうイエスを弟子たちは初めて知ったのである。」
イエスを裏切った卑怯で弱い弟子たちが、イエスの死後、殉教も辞さぬ強固な布教集団に変わっていった理由はここにあったということなのでしょう。
キリスト教に無縁であった私にも、遠藤周作氏の視点を通じて、2000年前のイエスの思想や教えの一端が垣間見えたように思います。
「永遠の同伴者イエス」――。
著者の信仰の種が成長し円熟し、評伝の形で鮮かに開花した。
英語、イタリア語、中国語にも翻訳され、広い読者を獲得した作品。
英雄的でもなく、美しくもなく、人々の誤解と嘲りのなかで死んでいったイエス。
裏切られ、見棄てられ、犬の死よりもさらにみじめに斃れたイエス。
彼はなぜ十字架の上で殺されなければならなかったのか?
――幼くしてカトリックの洗礼を受け、神なき国の信徒として長年苦しんできた著者が、過去に書かれたあらゆる「イエス伝」をふまえて甦らせた、イエスの〈生〉の真実。
著者の信仰の種が成長し円熟し、評伝の形で鮮かに開花した。
英語、イタリア語、中国語にも翻訳され、広い読者を獲得した作品。
英雄的でもなく、美しくもなく、人々の誤解と嘲りのなかで死んでいったイエス。
裏切られ、見棄てられ、犬の死よりもさらにみじめに斃れたイエス。
彼はなぜ十字架の上で殺されなければならなかったのか?
――幼くしてカトリックの洗礼を受け、神なき国の信徒として長年苦しんできた著者が、過去に書かれたあらゆる「イエス伝」をふまえて甦らせた、イエスの〈生〉の真実。
(amazonより抜粋して引用)

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