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ニューヨーク・タイムズの記者だったデイヴィッド・ハルバースタム氏が、アメリカによるベトナム戦争への介入が如何にして始まり、泥沼化していったかを克明に描いたドキュメンタリーです。
太平洋戦争での日本の敗戦後、支配を復活させようとしたフランスとベトナム独立同盟(ベトミン)が、1946年から交戦(フランス・インドシナ戦争)し、1954年にフランスが撤退します。
その頃、アメリカはベトナムに介入しないという判断をしましたが、10年後の1964年には、アメリカ軍は全面的な軍事介入を開始します。その間に、どのような変化が起き、アメリカ政府に結集した「最良の、最も聡明な人々」が如何にして誤った判断をしていったか、著者は詳細に解説します。
私の印象に残ったポイントの一部を以下にご紹介します。
- 1961年にジョン・F・ケネディが43歳で大統領に就任すると、アメリカ全土から超エリート達がワシントンに参集した。彼らがワシントンに携えてきたのは、アメリカの選民思想の高まりと興奮であった。国内においてアメリカの夢を実現するというよりは、アメリカ・ナショナリズムの新しい一頁を開くために、アメリカ各地から最高、最良の人々が召喚されたのだ、という興奮である。
- アメリカは、犠牲に値する利益はないと決め込んで、フランス・インドシナ戦争(1946~54年)に直接介入しなかった。1954年のジュネーブ協定の後、やはりアメリカは安上がり政策を狙った。アジア共産圏の周辺に反共国家を建設するが、その仕事は我々の代わりの誰か別の人間にやってもらおう。全て安上がりで済む、という考え方なのであった。
- 1960年から、南ベトナムにおいては反政府活動が一段と活発化し、ベトコン(南ベトナム解放民族戦線)はその規模を拡大するとともに、政府軍に対していっそう優勢な戦闘を展開していた。1961年、統合参謀本部は、ある程度のアメリカ軍を南ベトナムに派遣し、直接戦闘に参加させずとも、アメリカの意思の堅固さを示すべきだとした。ただ驚くべきことには、アメリカが実際に戦闘に従事するか否かについて、はっきりとした議論がほとんど行われなかったのである。
- 反共リベラリズムに立つ政権が、世界を自分の眼鏡を通して見るのは当然で、自由主義や政治改革を上から移植していけば、この病める社会をなおすことができると考え、その心を休めるのであった。心を休めたのは、この政府を支持した一般の人々も同様である。共産主義を阻止すると同時に、アジアの国民の福祉も向上できる。これほど素晴らしいことはないではないか、というわけである。
- ケネディが、そして後にはジョンソンが学ぶように、軍部はいったん敷居をまたがせると、一筋縄ではいうことを聞く相手ではなかった。文民統制は、幻想にしかすぎない。政策、情報、目的、手段、すべての領域において、軍部が容赦なく確実に支配的地位を築き上げていくというのが現実である。
ベトナム戦争に軍事介入を開始した際の米国側の事情や、米国の優秀なエリート達が誤った結論を導いてしまった経緯について興味をお持ちの方におススメします。

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