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江戸時代の代表的な俳人である小林一茶の生涯を藤沢周平氏が描いた本です。
藤沢氏は、名もない市井の人々の生活を題材にした時代小説が多いという印象を持っていたのですが、本作のような歴史上の有名人を取り上げたところに、意外性を感じました。
しかし本作を読むと、小林一茶はいわゆる「有名人」ではなかったことがわかります。
しかし本作を読むと、小林一茶はいわゆる「有名人」ではなかったことがわかります。
一茶は長男でありながら義母との折り合いが悪く、生家を追われるようにして江戸に奉公に出ます。ところが奉公先では長続きせず、俳諧を勉強してなんとか食いつなげるようにはなるものの、稼ぐために俳諧の旅を続けなければならない苦しい生活です。
生家の弟との間で遺産相続争いを続け、やっと分割相続を果たし、嫁を娶るも子供は夭逝し、妻にも先立たれてしまいます。
本作での一茶はあくまでも、その日その日を生きるために必死で闘っている貧しい俗人として描かれています。
読了後にweb等で調べてみると、実際のところ一茶の名は、江戸中期の俳諧の世界ではそこそこ知られていたとしても、もっと有名な俳諧師は他に沢山いて、一般の人から見るとほぼ無名といってよいレベルのようです。
小林一茶が有名になったのは、明治時代中期に正岡子規が一茶を再発見し、「軽妙な作風は俳句数百年の歴史の中で肩を並べる者が見当たらない」と賞賛したことがきっかけになり、世間の注目を集めたからだそうです。
そして、大正末期~昭和初期の国定教科書に、一茶の句「雀の子そこのけそこのけお馬が通る」や「やせ蛙負けるな一茶是にあり」等が採用されたため、一気に知名度が上がり、国民的な有名人になったとのこと。
没後に評価が高まるという例は芸術の世界ではよくあるようですが、貧しい生活を強いられた本人にしてみれば「なんで生前に評価してくれなかったんだ!?」と思うでしょうね。
あの世で悔しがっている俗人・一茶の姿を想像してしまいました。
生家の弟との間で遺産相続争いを続け、やっと分割相続を果たし、嫁を娶るも子供は夭逝し、妻にも先立たれてしまいます。
本作での一茶はあくまでも、その日その日を生きるために必死で闘っている貧しい俗人として描かれています。
読了後にweb等で調べてみると、実際のところ一茶の名は、江戸中期の俳諧の世界ではそこそこ知られていたとしても、もっと有名な俳諧師は他に沢山いて、一般の人から見るとほぼ無名といってよいレベルのようです。
小林一茶が有名になったのは、明治時代中期に正岡子規が一茶を再発見し、「軽妙な作風は俳句数百年の歴史の中で肩を並べる者が見当たらない」と賞賛したことがきっかけになり、世間の注目を集めたからだそうです。
そして、大正末期~昭和初期の国定教科書に、一茶の句「雀の子そこのけそこのけお馬が通る」や「やせ蛙負けるな一茶是にあり」等が採用されたため、一気に知名度が上がり、国民的な有名人になったとのこと。
没後に評価が高まるという例は芸術の世界ではよくあるようですが、貧しい生活を強いられた本人にしてみれば「なんで生前に評価してくれなかったんだ!?」と思うでしょうね。
あの世で悔しがっている俗人・一茶の姿を想像してしまいました。
生涯、二万に及ぶ発句。
稀代の俳諧師、小林一茶。
その素朴な作風とは裏腹に、貧しさの中をしたたかに生き抜いた男。
遺産横領人の汚名を残し、晩年に娶った若妻と荒淫ともいえる夜を過ごした老人でもあった。
俳聖か、風狂か、俗事にたけた世間師か。
稀代の俳諧師、小林一茶。
その素朴な作風とは裏腹に、貧しさの中をしたたかに生き抜いた男。
遺産横領人の汚名を残し、晩年に娶った若妻と荒淫ともいえる夜を過ごした老人でもあった。
俳聖か、風狂か、俗事にたけた世間師か。
(amazonより抜粋して引用)

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